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国家論の科学

国家論の科学
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鎌倉 孝夫【著】科学としての国家論に立脚して、藤原正彦 『国家の品格』、安倍晋三 『美しい国へ』 の情緒的表現の底に流れるものを糺し、ネグリ、ハート 『帝国』、柄谷行人 『世界共和国へ』 の現実的根拠を質し、渡辺治 『現代国家の変貌』 に正面から向き合う労作。

著者
鎌倉 孝夫
出版年月
2008年1月25日
ISBN
978-4-7888-0622-1
販売価格
本体3,500円+税
サイズ
46判
製本
上製 
頁数
290ページ
備考

著者紹介

鎌倉 孝夫(かまくら・たかお)

1934年2月 東京生まれ。 1956年3月 埼玉大学文理学部卒業 1961年3月 東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。経済学博士。 1961年4月~1999年3月 埼玉大学助手、講師、助教授、教授歴任。 2000年4月~2006年3月 東日本国際大学学長現在:埼玉大学及び東日本国際大学名誉教授。

書評の紹介

長周新聞 2008年2月1日(金)  本書は、経済学者の立場から科学的に考察された国家論である。著者は、これまでも現代の国家をどう見るかについて、天皇制や憲法、教育、福祉の問題、また労働問題とかかわって発言してきた。このたびは、これまでの研究成果も踏まえた最近の考察を体系的にまとめている。とくに、近年のグローパリズム、新自由主義の進展のもとでの国家の機能をめぐるさまざまな論議に立ち入って、あいまいにされがちな国家の本質を浮き彫りにし、国家的抑圧から脱却しうる人民運動の展望を見出そうとしている。  小泉・安倍政府による「構造改革」「規制緩和」が、「自由競争」「小さな政府」「グローバル化」が叫ばれるのとは裏腹に、民意を踏みにじって国家機構を通じた暴力的な統制によっておし進められてきたことは、万人が体験したことである。そこでは、「美しい国」を叫ぶ安倍政府によって、「愛国心」を強要する憲法違反の教育基本法の改訂が強行され、憲法改悪に向けた「国民投票法」が制定された。『国家の品格』や人権派の国家論  「国家が危機に陥ると国家が語られ、国家論がはやる」。著者はとくに、危機に陥った国家を立て直そうとして「労働者・民衆を統合する」ことを目的としたまやかしの国家論が広まることを指摘する。そのうえで、『国家の品格』の著者・藤原正彦氏の「国家論」をとりあげ解剖している。それは、中曽根政府以後の「天皇」を担いだ国家的統合への志向とその破たんの必然性とかかわって論じられる。  さらに、「現体制の変革を志向する側」から提出されている国家をめぐる学説-ネグリ、ハートの「帝国」論、渡辺治・一橋大学教授の『現代国家の変貌』、柄谷行人氏の『世界共和国へ』など-もとりあげ、それらの個別的な分析・批判を通して、著者の見解を展開している。とりわけ、新自由主義が「自由」といいながら、国家の統制を必要とし、国家により強く依存せざるをえないこと、「新自由主義は国家的権力(暴力)なくしては進まない」ことを理論的に跡づけている。  そこでは、多国籍企業が主役となったグローパリゼーションの進展のもとで「国民国家」が衰退するというネグリ、ハートの主張や、柄谷氏の「観念的願望」への批判的考察とともに、渡辺氏の「新自由主義の矛盾の中から新保守主義国家が強まる」というそれ自体正当な論に含まれる問題-「人権」意識をとなえるが、それが市場関係を当然視する個人主義的レベルにとどまって、新自由主義も市場の「自由」を法律として強制する国家をも乗り越えることはできない-への著者の論述の根底に共通するのは、資本主義の商品経済の運動法則に立脚しての考察である。商品経済の法則から 多様な国家論の批判的考察  著者は、マルクスの『資本論』も引用して、資本主義の商品経済は本質的に国家から自立して存立しうるが、「国家をなくすことができない」ことを明確にしている。それは、資本主義経済のもとでは「労働力の商品化」によって、本来の社会の主体である労働者が「客体化・モノ化」し、「商品経済(直接にはカネ)を通して支配」していることから、「人間的反発・抵抗を招かざるをえない」からである。そして、その反発・反抗を抑圧する「イデオロギー的強制」が不可欠となっていること、そこにこそ国家権力の存立の根拠があることを強調している。  著者はさらに、必然的に労働者・民衆のなかにこのような支配に対する疑問・反発・抵抗が現れること、同時に、労働者・民衆が「″商品″主体」に根ざしたイデオロギーを当然と見なしているかぎり、「商品経済的秩序・資本主義経済の自立は維持され」ざるをえないという冷徹な真理を提起している。これは、体制内での安住を求める改良主義への手厳しい批判でもある。  著者はそこから「労働者が、生きる根拠(「労働」と「生活」)に基づいて、実体の担い手にふさわしいイデオロギーを確立し、その組織的実践によって、それが属する国家を人権確立と平和な国家に変えていく」方向性を明示。「われわれの目標は、国家によって奪い取られた共同性を、労働者・民衆がその連帯した力で奪還し、自主的に創造することである」と指摘している。そして、「現代革新政党の最大課題」として、「資本主義的国家統治が暴力的で反民主主義的であり、なによりも非人間的本質をもつことを徹底的に暴露し、社会主義こそが社会を支える働く人間を主体とした、民主主義的本質を持つ社会であることを明確に提示」することであり、「大衆的イデオロギー自体の変革にむけられなければならない」と提起している。民衆の怒りを真の解決に向けて  著者は、本書の論述で明確にされているものは、「国民(民衆)と国家の区別と関係という、きわめて単純な、これまでも何度も論じられてきた問題である」とのべている。  そこには、支配・抑圧する者と、支配・抑圧される者との非和解的な階級的対立を明確にとらえたうえで、それをあいまいにするまやかしの国家論の暴露を通じて、社会の生産を担う労働者、人民の根本的利益に立った運動の発展に貢献しようとする知識人としての使命感が貫かれている。  たとえば、著者はかつて国民が国家からだまされ、侵略戦争にかり出されたことについて、次のようにのべている。  「侵略戦争ば″国民″=民衆の責任ではない。民衆は(その意思から遊離した) ″国家″の意図の下での侵略戦争に強制的に(法律、そして暴力によって)動員され、かり出され、他国の民衆を殺し、自らも殺された。侵略を受けた国の民衆とともに、日本の民衆も、日本″国家″の被害者なのである」  同時に、「なぜ民衆から遊離した″国家″は侵略戦争に突っ走るのか。その″国家″の暴走に歯止めをかけられなかったこと、残念ながら多くの民衆が侵略戦争に流されたことを反省しなければならない。どうして歯止めをかけらなかったかを分析し、それをどう克服しうるかを明らかにしなければならない。それが民衆の責任である」とのべている。  著者のこうした論点には、次代を担う人民大衆こそが社会の主人公であり、究極的に歴史の発展を規定する勢力であるという、科学的に裏づけられた民衆への信頼感が貫かれていることは確かである。  それは昨年、民意を無視して暴走した「安倍政権の自壊」とかかわって、そこに「暴力的統治を認めない日本の民衆の意志は決して崩壊していない」ことを見て、「問題はこの民衆の怒りを真に解決する方向、戦略目標を明らかにすること、そして民衆がそれにむけて結集しうるかどうかにある」という提起にも示されている。

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