美空ひばり 平和をうたう

小笠原 和彦【著】
なぜ、ひばりは反戦歌を歌ったのか、誰が影響をあたえたのか、古賀政男か、川田晴久か、竹中労か。
名曲の誕生までを縦軸に、きらびやかな人たちとの親交を横軸に、もう一人の美空ひばり像を追い求める。
- 著者
- 小笠原 和彦
- 出版年月
- 2006年3月25日
- ISBN
- 4-7888-0601-0
- 販売価格
- 本体1,800円+税
- サイズ
- A5判
- 製本
- 上製
- 頁数
- 備考
著者紹介
小笠原 和彦(おがさわら・かずひこ)
1945年秋田県生まれ。中央大学法学部卒業。野田市役所勤務。雑誌『市民』を経て、仕事の傍ら執筆活動。
主な著書に、『自治体労働者が見た野田市』(私家版)、『貧しさの文化』(私家版)、『少年は、なぜ殺人犯にされたか』(徳間書店)、『李珍字の謎』(三
一書房)、『宮崎事件 夢の中』(現代人文社)、『少年「犯罪」シンドローム』、『ニッポン人、元気ですか!』、『霊園はワンダーランド』、『学校はパラ
ダイス』(いずれも現代書館)。
書評の紹介
東京新聞・中日新聞 2006年5月18日(木)6面
私はこれまで働きながら十冊の単行本を書いてきたが、体験ものと取材ものに分かれる。半数が体験もので、そういうことでは、他のライターとはかなり
違っている。外国人労働者と工場や建設現場で働いた記録『ニッポン人、元気ですか!』、警備員として一年間、巨大霊園でホームレスと過ごした『霊園はワン
ダーランド』などがそれである。そのほとんどは、いま話題となっている「下流社会」に生きる人たちのことで、国民的歌手といわれた美空ひばりを題材にした
『美空ひばり 平和をうたう』とはかなり趣が違う。
本書を書くきっかけは、美空ひばりの熱狂的なファンである登山家の椎名一夫氏の一言だった。あのひばりが反戦歌を歌っていたというのだ。それはにわ
かに信じられないことだったが、一九七四年の第一回広島平和音楽祭で「一本の鉛筆」をうたっていた。
ひばりの本はたくさんあるがほとんどの人がそれにはふれていない。私はそれに触発され、美空ひばりはどんな人だったのか。誰が影響を与えたのか。そ
して反戦歌を歌う経過をたどることによって、もう一人のひばりとその時代が見えてくるのではないかと思い、資料をあたった。
そして最初に浮上してきたのが、作曲家の古賀政男である。一九四七年、のど自慢大会の審査員であった古賀は、ひばりの歌を聴き激賞している。その
後、ひばりの曲を作曲し、第一回広島平和音楽祭では実行委員長をするなどひばりとは縁の深い人だが、自伝によれば平和を愛する人でもあった。古賀は自伝で
こう記す。「二度と大っぴらに軍歌をやるような世の中がきてはいけない、としみじみ思うのである。」ひばりに影響をあたえたのは古賀かもしれない。
だが、ひばりの歌の師匠で、彼女を世に出した川田晴久も影響をあたえた一人のように思えた。ひばりが歌舞伎座に出演することが決まり、関係者から強
い反対意見が出されたとき、川田は「歌舞伎座のてっぺんに民衆の旗をひるがえしてやれ」と怪気炎をあげた。それと戦時中、軍部を風刺するような歌をうた
い、レコードは発売禁止になっていた。川田の可能性もある。
しかし、最初に本格的なひばりの本を書き、彼女と行動をともにしてきたルポライターの竹中労の存在があった。しかも、竹中は政治的人間で、ひばりに
もっとも影響をあたえた人物に思えたのだ。さらに、「一本の鉛筆」をうたったその年に、竹中は反権力的な立場をとってきたハリー・ベラフォンテにひばりを
引き合わせている。竹中労が濃厚になったが、取材の結果、意外な人物に到着した。
すでに本は市場に流れ、ひばりファンの飲み屋の女将が買い、客が回し読みをしているという。これまで私の読者は限られていたが、今度ばかりは違う様
相を見せている。それは私の力よりも、美空ひばりの力と思えてならない。ひばりは永遠に不滅である。