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大正昭和期の鉱夫同職組合「友子」制度

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著者紹介

村串 仁三郎(むらくし・にさぶろう)

1935年東京生まれ。1963年法政大学大学院社会科学科経済学専攻修士課程修了。1969年同博士課程単位取得満期退学(82年経済学博士取得)。

1969年法政大学経済学部専任助手、70年同助教授、80年同教授。2006年同大学定年退職(同年4月法政大学名誉教授)。

主な著書に、『賃労働原理』(日本評論社)、『賃労働理論の根本問題』(時潮社)、『日本炭鉱賃労働史論』(時潮社)、『明延鉱山労働組合運動史』(恒和
出版)、『日本の伝統的労資関係-友子制度史の研究』(世界書院)、『レジャーと現代社会』(編著、法政大学出版局)、『国立公園成立史の研究』(法政大
学出版局)など、その他著書、論文多数。

書評の紹介

北海道新聞 2006年9月3日(日)14面
村串仁三郎著 「大正昭
和期の鉱夫同職組合『友子』制度=友子制度とは鉱山よ炭鉱にあった日本独特の職人組織。江戸時代に起源を持ち、坑内員たちは従弟関係で結ばれるとともに、
組織としては技能養成機能、相互扶助機能、自治的な集団機能を併せもっていた。本書はその研究に長年取り組んできた法政大学名誉教授による研究書。昭和初
期に多くの鉱山、炭鉱で友子制度は衰退していくが、戦後も存在した数少ない例として、夕張の登川炭鉱など北海道の友子制度を取り上げ考察を加えている。

図書新聞 2006年12月2日(土)5面

「友子」の世界を科学する

「労働世界」のあり方を考えさせる理論書

「友子」といっても人の名前ではない。かつて日本の鉱山に「友子(ともこ)」と呼ばれた鉱夫の仲間組織が存在していた。友子は戦後の高度経済成長期にはぼ
消滅し、現在はかつて友子に加わっていた人たちがわずかに生存しているに過ぎない。本書は村串仁三郎氏が長年取り組んできた友子研究の集大成であり、決定
版である。村串氏が友子の研究を本格的に始めたのは一九七〇年代末のことであり、すでに友子は消滅していた時期である。氏の友子研究はそれから「研究生活
の最盛期」に当たる二〇年間に及ぶが、消滅した鉱夫組織の研究にそれはどまでに打ち込み、こだわったのはなぜだったのか。この点を手がかりに本書の内容を
吟味していくことにしたい。

本書は、友子の存立基盤が鉱夫の熱練の分解によって大きく変容し、鉱山資本の庇護も期待できなくなった明治末期・大正初期以降の衰退過程にある「変型友
子」を主たる対象としており、その存立基盤と意義を失って、氏によれば、「抜けがら」と化した戦後友子にまで及んでいる。村串氏は前著『日本の伝統的労資
関係-友子制度史の研究-』(世界書院、一九八九年)で、徳川時代から明治末年までを対象としており、本書は続編である。

さて友子とは、徳川期に成立した金属鉱山における伝統的な鉱夫の仲間組織であり、明治以降には炭鉱にも広がり、さらにトンネル掘削労働などでもみられた。
従来、友子は、独特な儀式形式をもつ取立式、山中交際と呼ばれた相互扶助制度、鉱山巡回による救済目的の奉加帳制度などで注目され、ともすれば友子は親分
子分関係からなる封建的な組織であり、資本制の鬼子的存在とみられてきた。そしてすでに博物館入りした無形文化財的扱いを受け、復元された取立式の模様が
テレビなどでも紹介された。これに対して、氏は、友子は産業革命期の資本制には適合的な組織であり、資本制下の労資関係のあり方を考察するうえで、極めて
重要な素材であり、決して過去の遺物ではないとするのである。

村串氏によれば、「友子は、徳川時代の鉱山マニュファクチュアに雇用されている鉱夫のクラフト・ギルド的な同職組合として形成された。友子は鉱夫のクラフ
ト・ギルド的な同職組合として形成された本質からみて、徒弟制度に基づく親方制(親分子分関係)の形態をとりつつ、鉱山業における熟練労働力の養成、鉱夫
移動の保障と労働力の供給調整、構成員の相互扶助、さらに鉱山内の生活・労働秩序の自治的維持、時として生活・労働条件の維持改善などの多様な機能を果た
した。友子の組織は、一山に限定されていたが、制度としては全国的な共通性をもち、鉱夫にとって友子のメンバーになることが、日本の鉱山で働くための一般
的資格であった」。この定義的なとりまとめは前著の結論であると同時に、本書によっても確証された氏の研究の総括でもある。

村串氏は、友子は伝統的制度ではあるが、①近代的鉱山業の発展に適合的であったこと、②鉱夫の自治的団体であること、③労働組合化の動きが確認できること
を指摘し、友子の持っていた可能性に着目する。①については、前著によれば、明治四一年の金属鉱山労働者は約七万人で、明治三一年からの増加は約一万八千
人であり、採鉱部門の熱練鉱夫の養成は当時の友子の実勢(全鉱夫の約三八%の組織率)からみれば、十分に可能であったと推定する。②については、氏は全国
に残存する友子資料を丹念に収集し、友子規約や会計帳簿などから友子の組織と機能を復元し、自治的民主的運営を明らかにしている。また奉加帳をもって全国
二七七の鉱山を巡歴する鉱夫の姿を通して、鉱夫ネットワークの存在を再現する。③については、明治四〇年の足尾銅山暴動や大正期の全国坑夫組合などを取り
上げ、大正期には、友子は短期的だが労働組合に成長転化しえたと結論づける。しかし足尾では経営による採鉱夫組合(従業員団体)の組織化によって、友子は
それに包摂され、労働組合は衰微していった。 こうしてみると、友子には、①変型友子としての存続、②労働組合化、③会社組合ないし従業員団体化の三つの
選択肢がありえた。村串氏によれば、友子は熱練労働力の養成に存立基盤があるとし、採鉱労働の機械化の展開とともにそれが掘り崩されるとしており、①は採
鉱過程の技術革新によって衰退をよぎなくされ、やがて「抜けがら」となるコースであり、③は友子として独自性の否定のコースであり、友子が自己否定しつつ
その労働者性の存続を図るのは、②の労働組合化コースしかありえなかったことになる。

このような結論を導く、村串氏の熱練鉱夫養成が友子の基盤であるとする主張は二つの点で再検討する余地があると考える。一つは、北海道や常磐の炭鉱で友子
は発展するが、炭鉱労働の場合には熟練は徒弟的修業を必ずしも必要としなかった。最大の炭田であった筑豊では友子は極めてマイナーな存在にすぎなかったの
である。二つ目は戦後の北炭登川炭鉱の事例が示すように、戦後の労働運動の台頭のなかで、友子と労働組合が共存しうる可能性があったことである。戦前期日
本においては友子の労働組合への転換は時代的制約のもとで実現しなかったが、友子の自己変革が可能であれば、戦後労働運動の台頭とともにその精神が蘇り、
独自な「労働世界」の構築という役割を果たしえたのではなかろうか、という「夢想」にとらわれるのである。ともあれ、本書は友子の世界を活写する歴史書で
あるとともに、「労働世界」のあり方を考えさせる理論書でもあり、広く読まれることを期待したい。

荻野喜弘(九州大学教授)

大原社会問題研究所雑誌 2007年2月25日(日)73頁

近代の鉱山には「友子」(ともこ)という、鉱夫(採鉱夫)たちの自治的な社会集団が存在した。友子は全国各地の鉱夫稼業を営む労働者達により組織さ
れており、その中で鉱夫たちは自らの技能を伝承し、また鉱山や企業の枠を越え、疾病に対する救済や職業紹介など様々な互助的活動を行なった。一方、友子は
独自の制裁法を持っており、鉱山における生活・労働の規律化も担っていた。

友子の存在は歴史学者や社会学者の間では古くから知られてきた。しかし、労働者のインフォーマルな社会関係として成立した友子は文書に記録が残りづ
らく、特に明治期の友子に関する資料は限られていた。このため、比較的豊富な大正・昭和期の資料をもとに分析がなされ、全体のイメージが形作られてきたと
いう経緯がある。

こうした友子研究の限界を克服すべく、自ら精力的に全国の旧鉱山を巡り、各時代の友子資料を発掘・収集し、友子が成立し発展していった歴史的なプロ
セスを長年にわたって研究してきたのが本書の著者である村串仁三郎氏である。

本書は、「続・日本の伝統的労資関係」とサブタイトルがつけられていることからわかるように、1989年に出版された『日本の伝統的労資関係』の続
編である。前著において筆者は、各時代の友子とはいかなる組織であり、それはいつ成立しいかにして発展していったのか、体系的に明らかにした。

筆者によれば、友子とは、熟練労働者の養成、労働力の供給調整、職業上での疾病に対する扶助、鉱山自治など多様な機能を持つ、「鉱夫のクラフト・ギ
ルド的な同職組合」であり、18世紀末から19世紀はじめに成立した。そして急速な発展を遂げていった明治期の鉱山において,友子は労務管理の不足・欠陥
を補う集団として必要とされ,全国に伝播し発展していったという。

友子という労働者の自律的な社会集掃の実態のみならず,近代の鉱山業がそうした集団に対し,積極的に依拠することで発展を遂げてきたという,近代産
業の実態をも実証的に明らかにした『日本の伝統的労資関係』は,鉱山史にとどまらず幅広い分野で高い評価を受けることとなった。同書は,出版から約20年
を経た現在もなお,労働に関する歴史を学ぶ者にとっての必読書となっている。

さて,前著が江戸末期から明治期の友子を対象とするものだったのに対し,本書『続・日本の伝統的労資関係』は,前著では論じられることのなかった大
正期以降の友子の実態,すなわち近代鉱山業とともに発展を遂げた友子が,その後,大正・昭和の時代を経て,再編され変質し,そして衰退・消滅していった過
程が明らかにされている。具体的に本書の内容を紹介・検討する前に,まず本書の構成を示しておこう。

序章 「友子」研究の方法と課題

第一章 大正昭和期における足尾銅山の友子制度

第一節 明治三○年代における足尾銅山の友子制度の実態

第二節 暴動後の足尾銅山における友子制度の改編

第三節 大正八年争議後の足尾銅山における友子制度の改編

第四節 足尾銅山における友子制度の消滅

第二章 大正昭和期における別子銅山の友子制度

第一節 明治期における別子銅山の友子制度

第二節 明治末大正期における別子銅山の友子制度

第三節 大正十一年の鉱業所による友子制度の改編

第四節 昭和初年の友子制度の改編

第三章 昭和期における友子制度の変質と解体

第一節 三菱鉱業『友子団体調査』報告の概要

第二節 友子制度がないか著しく衰弱している鉱山

第三節 友子組織が根強く残存している鉱山

第四節 鉱業所の友子対策と友子の変質

補節 北海道における戦前戦時の友子制度

第四章 昭和期の日立鉱山における友子制度の変質と衰退

第一節 日立鉱山における友子の歴史的概要

第二節 昭和前期の日立鉱山における友子組織の実態と衰退傾向

第三節 友子の活動の形骸化と一面化

おわりに

第五章 明治末年大正初期の奉願帳制度の実態

第一節 奉願帳制度の概要

第二節 和田梅吉『奉願帳』の分析

第三節 奉願帳制度の客観的位置

第六事 大正期における友子の労働組合化について

第一節 全国坑夫組合の形成と友子の労働組合への成長転化

第二節 各鉱山炭鉱における友子の全国坑夫組合支部への成長転化

第三節 その他の鉱山での友子の動向

第七草 戦後における友子制度

第一節 戦後の北海道における友子制度の残存

第二節 戦後の北海道における友子制度の基本的構造

第三節 北海道における戦後友子の実態とその特質

最後に

付録資料 足尾銅山坑夫一般規約條令

図表一覧

先にも述べたが,本書は『日本の伝統的労資関係』の続編である。しかし,本書から読んでも誤解なく内容が理解できるように,序章では前著の内容と,
友子をクラフト・ギルド的な「同職組合」と捉える筆者の視座がわかりやすく紹介されている。

本書の主題は,大正・昭和期,友子が再編され変質,消滅していった過程を実証的に明らかにすることにある。著者は本書の中で,友子が変化していくこ
ととなったふたつの重要な歴史的契機を指摘している。まず日露戦後における労働運動の高揚を受けての友子政策の転換であり,もうひとつが大正9年の恐慌と
それ以後の生産様式の変化である。

第一章では,足尾銅山の事例をもとに,友子の「企業内化」(従業員団体化)が論じられて いる。足尾鉱業所は,明治40年の採鉱夫による「暴動」を
契機に,「友子を野放しにしておく方針」を改め,友子の自律性を奪おうとした。具体的には,当時,公式な鉱夫管理機構としてあった「飯場制度」に友子を編
入し,「飯場頭」の監督下に置こうとした。しかしそれでもなお,友子は組織的にも機能的にも,ある一定の自律性を保ち続けた。この理由として筆者は,依然
としてこの時期の企業が,熟練労働力の養成労働の指揮管理,鉱夫の組織化,共済活動などを,独自に行いえなかったことをあげている。

しかし,大正9年の大不況を契機とした労働力の過剰化と生産の合理化・機械化により,友子の必要性は,漸次,失われていくこととなった。また,この
頃から鉱夫はそれぞれ単一の鉱山に定住し働くようになり,それまでの友子の顕著な特徴であった,鉱山の枠を越えた全国的な規模での互助的交際も衰退して
いった。そしてこうした時代状況に加え,同時期の労働運動の高揚が,友子の「企業内化」をよりいっそう促進させることとなったという。第二章では,大正・
昭和期の別子銅山における友子を対象に,友子が経営に対し親和的な企業内組織に編入せられ,「労働組合の防波堤」とされていった過程が明らかにされている
(110頁)。

第三章では,昭和12年に三菱鉱業か行なった,友子に関する調査報告に基づき,昭和期の友子の実態が分析されている。ここでは,昭和期,多くの鉱山
で友子が消滅し,存続していた友子も,本来の機能をほとんど失い,山内での共済を主な活動とする親睦団体に変質していた事実が確認されている。

第四章では,昭和期の友子の実像を,より具体的に明らかにすべく,日立鉱山の友子の『永代記録簿』に基づいた分析が行なわれている。昭和期の日立鉱山で
は,友子の対外的な活動(来山した傷病者への救済や浪人鉱夫への就職の斡旋など)が行なわれなくなっており,山内での共済の水準も,公的な共済制度に比べ
著しく低く,実際的な意義を失い象徴化していた。

こうした中,友子の組織的な性格も変化し,一部の長老がボス化し組織運営に対し大きな発言力を持つようになっていったという。

第五章では,明治末から大正期における,「奉願帳」制度の実態が明らかにされている。

「奉願帳」制度とは,傷病者が「奉願帳」(友子が認めた傷病者であることの証)を携え全国の鉱山を巡り,各鉱山の鉱夫が救済金を拠出しその者を助け
るという友子独自の共済制度のことである。これは,友子の全国横断的性格を如実に示す活動としてあった。しかしこれもまた,大正期以降,各鉱山で,漸次,
廃止されていくこととなった。本草では,あらためて「奉願帳」制度が,明治・大正期においていかなる実質的性格を持っていたのか,現存する「奉願帳」をも
とに,巡回した鉱山名,それぞれで寄せられた救済金の額,寄付の形態などの詳細な分析が行われている。

第六章では,友子の「労働組合化」について論じられている。友子は,全国の鉱夫により組織される「同職組合」だったことから,企業に対する一定の自
律性を持ちえていた。そしてこのことは,友子が企業の対抗勢力となり得ることを意味していた。著者はこうした友子の歴史的性格に注目し,友子を基盤とした
労働争議や全国の友子を統合して労働組合とすることを企図した「全国坑夫組合」の活動についての個別的研究を行なっている。

第七章では,戦後の友子についての分析がなされている。「同職組合」としての機能のほとんどすべてを失い,存立の基盤を失った友子は,戦時期,ほと
んど消滅するに至った。この中,例外的に昭和53年まで存続した友子が,北海道の登川炭鉱の友子だった。本草では,登川の友子の活動や組織の実態が分析さ
れ,戦後まで友子が存続した理由や背景が検討されている。筆者によれば,登川の友子は,親企業的な労組と共存・融和し,労組の左翼化・過激化を防止する役
割を負うことで自らの命脈を保っていた。そして,すでに儀礼化していた諸活動を継続することで「同職組合」としての伝統を守り続けた。しかし石炭産業の斜
陽化を背景に成員が減少し財政難に陥り,ついに解散することとなったという。

本書を読むと,友子とひと言で述べても,鉱山の発展状況に応じて,全く異なった様相を呈していたことを理解することができる。そして,こうした友子
の歴史性を明らかにしたことこそが,筆者の最大の功績と言ってよい。

旧来,友子は,史料的な制約もあり,主に大正・昭和期の断面が分析され一般化される傾向があった。特に筆者は,友子を自助的共済組織と理解する説
(特に松島静雄『友子の社会学的考察一鉱山労働者の営む共同生活分析-』,1978年)に対し,友子の歴史的位置づけを欠いていると批判してきた。そして
前著において筆者は,自ら発掘・収集した友子史料をもとに,「同職組合」として成立した友子が近代鉱山業とともに発展してきた過程を明らかにし,本書で
は,産業構造の変化とともに友子が,「同職組合」としての機能や組織の横断的性格を喪失し,共済活動を主とした山内の親睦団体に変じていった過程を明らか
にした。これによりはじめて,友子の百数十年にも及ぶ通史が提示され,友子を総合的に(各時期の友子を相対化して)解釈することが可能となった。そして,
筆者の先の批判が妥当であることと,友子を自助的共済組合ではなく「同職組合」として体系的に把握することの正当性もまた裏づけられることとなったのであ
る。この成果は間違いなく,今後の鉱山史研究の進展に大きく寄与することとなるだろう。

最後に,本書の個別的内容に閲し評者が抱いた,いくつかの疑問を述べさせてもらいたい。

まず筆者は,友子の「企業内化」について,企業が,熟練労働力の養成,採鉱部面での労働の指揮管理,生活面での鉱夫の秩序化,共済に関する十分なシステム
を確立していなかったことが友子に一定の自律性を保たせる結果を招いたとしているが,この歴史認識にはいささか違和感を覚える。

例えば,足尾銅山では,明治30年代に行われた採鉱方法の転換により,坑内労働の直凍的かつ組織的な管理が促進されたということは周知のことであるし,ま
た,明治40年の「暴動」後,古河鉱業は共済制度を拡充するのみならず,他の鉱山に先駆けて,積極的に鉱夫の「福利厚生」を図ってきたという事実がある。
特に「福利厚生」は,企業が,直接,鉱夫の生活保障に携わる体制を構築することが不可欠であり,これは,鉱夫の雇用から日常生活の管理まで全てを飯場頭に
担わせてきた既存の飯場制度体制の改革と,同時並行的に実施されていった(足尾銅山では大正2年の時点で,飯場頭による鉱夫への金品の貸与が禁じられてお
り,企業が直接,鉱夫の衣食住を満たす体制が構築されている)。

友子を飯場制度の下に組み入れる「企業内化」は,むしろこうした一連の体制改革との関連で分析されるべきではないかと評者は考える。友子が自律性を
維持することとなった理由についても,日露戦後の労務政策のあり方(イデオロギー,政策理念も含め)を理解し再検討する余地があるように思う。

また,鉱夫の鉱山間移動(「逃亡」や鉱夫の「誘拐」)の対策と友子政策との関連性についても,詳細に分析すべきだったのではなかろうか。前著において筆者
が明らかにした通り,友子は,鉱夫の移動を保障することで,鉱山業全体における労働力の流動性を担保してきた。筆者はこの点を,友子の労働力の供給調整機
能として重視し,本書においては,大正9年以降の労働力需要の急減と移動の停滞が,友子の形骸化,「企業内化」をより促進させたとしている。しかし一方
で,筆者の研究においては,鉱夫の頻繁な鉱山間移動とそれに対する企業の問題意識が,友子の「企業内化」の与件となった可能性が問われていない。これは筆
者が,「全国から熟練労働力を集めるチャンネルの役割」を(前著,335頁),企業が友子を容認した根拠と理解するためだろう。この理解に異論はないが,
しかし個別鉱山レベルで見た場合,友子は熟練労働力を他に流出させる「チャンネル」となっていたことも軽視すべきでない。評者は,鉱山・企業の枠を越え成
立する「同職組合」が持つこととなったこうした両義性と,それに対する企業のアンビバレンス(それが友子政策に与えた影響)に,より配慮する必要性を感じ
た。

そして,これは疑問と言うよりも,浅学な評者がご教示願いたいと感じた点であるが,筆者は本書の中で,川炭鉱をはじめとして,いくつか炭鉱の友子を
対象とした分析を行なっている。しかし,筆者が異なる産業的特質を持った鉱山と炭鉱の友子を,それぞれいかなる位置づけで把握しているのか,評者には理解
できなかった。特に筆者の主張に従い,友子を,採鉱労働に関わる技能を媒体として成立した「同職組合」と理解した場合,一般的に不熟練労働者とされる炭鉱
夫が形成した友子をいかに把握すべきなのだろうか。炭鉱の友子について明確に槻念規定してほしかった。

以上,本書の内容を紹介し,書評と言うには拙い評者の感想を述べてきた。あらためて厳しい史料的制約にもかかわらず,長年にわたり友子と真撃に向き
合い続け,本書の刊行をもってはじめて友子の通史をおおやけにした著者の功労に対し,心から敬意を表し,書評を終えたい。

土井徹平(九州大学大学院比較社会文化学府博士課程)

日本労働研究雑誌 No565 2007年8月 76頁

初めて学術論文というものを書いてから約10年しか経っていないので,大した経験も知識も持ち合わせていないのであるが,一研究者として他人の研究成果
(特に労働分野の実証研究)を勉強していると,大きく分けて2タイプの研究があることに気が付く。

一つは,経済学や社会学のグランドセオリー(一般理論)を土台として複雑な社会現象を分析する研究である。評者も社会現象が切れ味の鋭い最新理論によって
整理される研究を知り,その切り口の鮮やかさに惹かれたものである。

もう一つは,一つの社会現象を徹底的に掘り下げる研究である。むろん,研究の背景に理論はあるのだが,はじめにグランドセオリーありきではなく,一つの事
例を掘り下げた結果として社会の全体像が現れてくるような実証研究である。前者を全体像から語りはじめる鳥の目研究と呼ぶならば,後者は一つの社会現象か
ら徐々に全体像に迫る虫の目研究と呼べるであろう。

本書は,後者の代表的研究であり,労働史研究のみならず,現状分析も含めた労働研究全体に対しても大きな貢献を果たしている。評者は産業史・労働史の研究
者という観点からではなく,現状分析を行う研究者として本書の貢献を考えてみたい。

本書の著者である村串仁三郎氏が研究対象として選ばれたのは,鉱山労働者の間で江戸時代から組織化されてきた「友子」と呼ばれる集団である。氏が本書の冒
頭で記しているように,たとえ労働史研究者であっても友子制度の実態を知る人は少ない。しかし読者も,労働者の伝統的な仲間組織である友子が,鉱夫の技能
形成,相互扶助,労働と生活の自治活動,さらには労働市場へのコントロールを行ってきたことについて知れば,友子の歴史を検証することが,単に歴史的事実
を発見するだけではなく,極めてアクチェアルな問題提起を行いうる可能性に気付かれるであろう。

ところで,本書は,「続・日本の伝統的労資関係」とサブタイトルがつけられていることからわかるように,江戸時期末期から明治期までの友子の歴史を検証し
た『日本の伝統的労資関係』(世界書院,1989)の続編であり,前作に続いて大正期から昭和期までの友子制度の変遷を追っている。本書と前作は,全国に
散らばる友子資料を丁寧に調査し,それを読み込むことで同職組合である友子の発生,発展,そして衰退・消滅までを近代産業の変容とともに描いている。もち
ろん,村串氏以前にも友子の研究は存在したが,はじめて氏は,江戸から昭和に至る友子の通史を分析したのである。前作から読み始め,続けて本書を手に取ら
れる方がよいと思うが,本書でも前作の内容が簡潔に要約されているので,本書から読み始めても理解に支障はない。

前作における筆者の発見の一つは,友子制度が,すでに徳川時代に成立していた「親方層も含む鉱夫のクラフト・ギルド的な同職組合」であったという事実であ
る。この発見事実をふまえれば,なぜ日本の社会で同職組合が発生し,なおかつ明治期に発展したのかという問いが生まれ,続いて,なぜ発展した同職組合は衰
退してしまったのかという問いを生むのである。大きく分ければ,はじめの問いには前作が答え,次の問いには本書が答える形になっている。

まず,本書の内容をその構成に沿って紹介しよう。序章では,先行研究が整理され,本書の研究課題を設定されている。労働史に詳しくない者にも友子研究史の
概略をわかりやすく説明してくれる。

つづく第1章は,足尾銅山の友子制度の衰退過程について新資料を使って分析している。友子の衰退とは,単に連続的な過程ではないことに留意すべきである。
本書によれば,明治40年の足尾暴動以降,足尾鉱業所は飯場制度を改組して,友子を飯場組合の中に組み入れた。しかし,この時点の経営側による友子の企業
内化は限定的であり,友子は変容し変型されながらも存続した。「友子がもっていた鉱夫の熟練養成,採鉱部面での労働者指揮管理,生活面での鉱夫たちの秩序
化,広範囲な共済活動などの機能を無視して,独自のシステムで鉱夫を雇用し管理する能力を保持するまでになっていなかったのである(70頁)」。

梅崎 修

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